秋山財団の歴史 “いのちをつなぎ、いのちを育み、地域と共に歩んだ37年”
本財団は1987(昭和62)年、4年後に迎える医薬品卸業の株式会社秋山愛生舘創業100周年を記念し、当時4代目社長であった秋山喜代個人の出捐金2億円で設立し事業を開始して、以来、数多くの企業・個人からのご寄付も幅広く頂き、2024(令和6年)年3月末の基本財産は、現預金・有価証券・不動産等も含めて、約49(正味財産を四捨五入)億円となりました。また、これまでの累計事業実績は、合計1,670件、総額約12億2千万円となりました。株式会社秋山愛生舘の経営理念「奉仕の精神」を基盤に、これまで寄せられた「北のいのち」への数多くの強い想いとこころざしを実現すべく、今日まで活動して参り、2009(平成21)年12月1日からは「公益財団法人」として、新たな時代に即した法人格としてスタートを切りました。
財団設立の志は、「北海道」という地域と、「生命科学:いのち」に対する特段の思い入れと言えます。「固有の土壌や地形、水系や気候、動植物をはじめ、多くの自然の特徴を備えた独自性を持つ生命の場」としてのこの北海道。こうした「生命の場」の中に共に住む共同体の一構成員として、切り離されては生き得ない人材の育成を最高の価値としています。
私たちは一貫して、地域・民間・自立財団として地道に活動をしています。21世紀に入り、「新しい公共」のあり方が問われてきている現在、これまでは、「公:おおやけ」は税金で賄われる「官」がその担い手とされてきましたが、社会のニーズの多様化に対して、それに応える活動の担い手も実に幅広い主体の活躍が期待されています。私たちは、その新しい担い手の一翼として、これまでの実績を基盤に、更に一層飛躍して、従来の「官」とは違う、ユニークな「いのちをつなぎ、いのちを育む」研究活動・市民活動への支援を充実し、進化していく決意です。
財団の趣意書には、「生命科学の振興と地元の人材育成、及び地域産業の振興に貢献するとともに、道民福祉の向上に寄与したい」と、主たる事業を明確に記述しています。これまでも研究助成では基礎的・萌芽的・独創的な研究の発掘に心掛けてきており、更に2008年度からは活動創出として「ネットワーク形成事業助成」を開始しています。「新しい公共」の担い手づくりを目指し、「ネットワーク構築」、「事業創出」、「事業育成」を目標として、日々の改革に努めて場を提供出来ればと考えております。 2013年度からは、このネットワーク形成事業助成の中で“いのちをつなぐ”プロジェクトもスタート致しました。これは、秋山財団―未来像・2011からーに明記した次の世代(中学生・高校生・20歳未満)の人材・人財育成活動を大切にしたいという私たちの想いを具現化するものです。未来の北海道の担い手に希望を託す、そんな想いでおります。
当財団の最初の理事会で、理事のお一人が次のように語られていました。「生命科学の基本目標は、人類、そして地球の『健康』を確保する点にあると言えましょう。『健康』とは、人類が、世界が、平和を保つ状態だと思うのです。それは人間のコモンセンスに属すべきものであり、秋山財団の地味ではあっても着実な助成・育成活動が、北海道から日本へ、そして世界へ向けて、人類のそうしたコモンセンスの確立へと発展し、貢献する事を期待して止みません」
3・11後の時間を生きている私たちです。東北地方のみならず、日本・世界と地球規模の今後にも多大な影響を及ぼす現実と真摯に向き合い、温かな眼差しを忘れずに、持続可能な社会の創造に向けて尽力していく覚悟が重要だと思います。生物多様性の保全を可能にできる大地、全国に先駆けて再生可能エネルギー100%を実現するポテンシャルを持つ北海道。21世紀は北海道の時代だと確信致します。私たちは、これまでの37年間の実績を基盤としたユニークな「いのちをつなぎ、いのちを育む」各種事業に向けて、皆様と共に力強く生きて参りたいと思っています。
(2024年6月)